橘芳 本との交友

読んだ本の整理を兼ねた本との交友録です。

田村隆一『詩人からの伝言』

 

猫の表紙が可愛らしいです。田村さんの「猫」という名の猫なのでしょうか。

久しぶりに読んでとっても元気が出ました。

田村さんは太平洋戦争のとき、兵役を逃れるために大学に入ったけれど学徒出陣となり、終戦時には舞鶴(海軍)にいらっしゃったそうです。身長が182cmとのことで、飛行機の操縦席に入れなかったから特攻隊にならずにすんだそうで、生き残っていてくださってよかったと思いました。

本書は、平成8年(1996年)の本だそうで、私はそのころ鼻タレ子供で、田村さんの伝言をちゃんと受け取れるような年齢ではありませんでした。なので、今読めて幸運です。この本を作ってくださった編集者の方に感謝を申し上げたいです。

以前、図書館でこの本をたまたま手にとり、手元に欲しくなり買い求めました。が、すでに中古しか売っていないようなので、こんな素敵な本がもう書店では手に取れないのか…と思うと残念な気持ちになります。

余談ですが、いま私の住んでいる町には書店がないため、通勤などで大きい町に出た際に店をのぞくのですが、この頃は欲しいと思う本が見つかりません。

詩人の長田弘さんは、書店に行けばなにか見つかる、というようなことをおっしゃっていましたが、見つかりません。とはいえ、欲しい本はたくさんありますので、今後、一時的にでも消費税が減税された場合には爆買いしようと思っています。

本書の話に戻ります。

読んでいると、そばに田村さんがいて、語りかけてくれているような気になります。読んでいるこの場所が、非常に贅沢で暖かい場になるような、一人で読んでいるにも関わらず一人ではないような心強い気持ちです。

話しことばで書かれていて、お話しぶりがとても心地よいです。

編集者の方曰く、「その語りは見事なまでに江戸っ子」「軽妙にして洒脱な話術。それは、上質な落語のようだ」と。

話の要所に田村さんの「なっ」が入るのですが、その度に私は「はい!」と頷いてしまいます。

お話は24もあるので読む人どなたにもどこか響くものがあると思います。

私が特に印象に残ったのは、「外国語」の話。

……

自分の日本語を社会の表層で通用するテクニカル・タームとしていくプロセスが、小学校から始まる学生時代なんだよ。言葉は身近なところから輪をひろげ、ひろげられた輪によって重層化され、ついには母国語の海から浮上しようとする。そこには外国語の空があるのかもしれない。

だからね、外国語を身につける習うと言ったって、土台は母国語なんだよ。日本という風土で生まれ育ち生活することで、日本語という言葉、母国語がぼくらの中に内在化されているんだ。ここを理解してスタートしなけりゃ、外国語も活きてこないんだ。

……

だから、まずは母国語を身につけておくことが、結局はマスターした外国語を有益なものにする近道なんだ。いいかい、母国語の海を馬鹿にするなよ。無下に扱うなよ、汚すなよ。だってそうだろう。海にも母国語にも、母がついて回るんだから。

………

最後に。

国際化。つまりインターナショナルって声高に言われるけれど、ナショナリティーがなくてインターナショナルなんてありえないんだよ。もしあるとすれば、そんなものは単なるファッションにしか過ぎない。

言葉も同じさ。日本語が豊かになって、はじめて外国語も豊かになるんだ。母国語というナショナリティーの充実が、豊かなインターナショナルを育むのさ。翻訳の出来、不出来は、まず日本語として豊かな表現になりえているかだ。単語の意味や構文の解釈だけに長けていても、貧しい日本語しかない訳者からは面白い作品は届かない。だからさ、外国語を学ぶなら、まず母国語に豊かになること……。

ちょっとくどかったかい?

でもな、長く翻訳やってきたからな、ついつい向きになっちゃったよ。許しておくれよ。

なっ。

 

はい!

それから「教養」についての話。

日本はレンズなどの精密技術はすぐれているけれど、ボディには弱いそうです。

以下、引用。

 

ボディってのは、過去だよ。

つまり、ボディを重んじない日本とは、過去を重んじない国ということさ。職人がいらない社会を理想にしてるんじゃないか、この国は。

いいかい、今は過去の上に在るんだぜ。過去と今はつながっているんだ。継ぎ目がわかりにくい積み木みたいなものさ。だから、過去を大事にしないということは、今を大事にしないということになるんだ。

過去、今、未来。

昔の人は、「一寸先は闇」という言葉で未来のことを表現したけど、そこには、一寸先もわからないから生きていくファイトが湧くという意味があるんだ。わかったら、やになっちゃうだろ。生活に疲れ切った十年後の自分がわかったら、生きていく意欲なんてなくなるぞ。たるみきった自分の顔をつきつけられたら絶望しちゃうだろう(笑)。

そして、その「一寸先は闇」を、つまりは未来を生きていくために、過去から積み重ねた知恵が大事になってくるんだ。

その知恵こそを、教養と呼ぶのさ。

 

その後につづく話で、戦後の日本の教育は解説だらけだっておっしゃっています。

実感を伴って同意いたします。

 

「バカ」についての話、も面白いし、日本で私たちが本当の総理大臣に逢えない理由なども書いてあって面白いです。

日本について、日本の未来について考えていらっしゃったのが読んでいてわかります。

 

日本は主権在民だ。だからこそ、民の質が大事なんだ。そして、問題なんだ。民の欲が管理を望むようじゃ困っちゃうからな。官僚や行政批判すら本腰でできないままさ。日本という国が、今より上質の国になるためにも、民が大きな欲を、夢をもってほしいんだ。

 

これなんて、昨今の我々に向けているかのような伝言です。

これらのお話を「年寄りの放言だ」などと顧みない方もいらっしゃるかもしれません。しかし、今の日本に、後世の人たちのために親身になってこのようなお話をしてくださる年配の方々が一体何人いらっしゃるでしょうか。

その意味で、本書は大変貴重な本だと思います。

上記、私は真面目なところをたくさん引用しましたが、田村さんの私生活での様々な経験から成る男女についての話や、お酒についての話なども面白いです。

 

本書は、田村隆一さんのお話を伝えてくれて、考えるための燃料をくれる友人です。

山本素石 ヤマケイ文庫『山釣り』傑作集

先日読み終わり、とても面白かった本です。

読書ができるようになりました。気づけば机の上に十数冊積んであり、自分でもわけがわからなくなったり脳が膨満したりする感じですが、とても幸せです。

本書はモンベル店舗内の本棚で見つけました。父が渓流釣りが好きで、拾い読みして面白そうだから父にあげようかと思い購入。結果、自分が大満足でした。プレゼントするかどうか迷ってしまうくらいです。

自分は不勉強で著者について初めて知りました。その世界では有名な人なのでしょうね。著者プロフィールに宗教家とあり、最初は一歩ひいて対峙してしまったのですが、そんな警戒は全く無用でした。

親しみやすく、山好きのかっこいいおっちゃんという印象です。ツチノコブームを引き起こしたお方なのですね。山へのあふれるばかりの愛は対象は違えど、なんだか牧野富太郎さんを彷彿とさせました。

私は釣りをしませんが、幼いとき山へ連れて行かれていましたので風景は思い描くことができました。そのまま教えてくれればよかったものを、釣りに夢中の父により山に放置されていたので残念ながら釣りの楽しさには目覚めませんでしたが、アマゴやヤマメ、イワナの美しい姿かたち、柔らかな手触り、においなどを思い出しました。特に、アマゴの赤い斑点やパーマーク、オレンジ色をおびたヒレを持つ美しい姿は普段の生活では決して見ることができないのだなと気づきました。何より美味しかったなぁ…と。

かといって釣りに行くのかというと、行きませんので、本書は読んでいてとても楽しかったです。

自然のまえに人間は非力で、畏怖を感じるところに不思議な話が入り込むのか、怪異譚も多く釣り以外の内容も豊富でした。

特に「ねずてん物語序説」とそれに続く「小森谷の一夜」が必読ものです。

「ねずみの天ぷら」が狐狸たちの大好物で、それを手に入れるためにはなんでもするという習性を利用した木樵の知恵(?)を大きいアマゴを手に入れたい著者が実践してみるというもので、あねさん被りをした狐や狸がいそいそと買いに来るのを想像すると笑ってしまいました。

以下、山人夫に聞いた説明を少し抜粋。

 

(化けた狐狸たちが入れ代わり立ち代わり天ぷらを買いにやって来る)

そこで法外な高値を吹っかけるわけだが、かれらは少しも値切らず、サッと手の切れるような紙幣を出す。それはたいてい木の葉にきまっているから、夢々だまされてはならない。まず四、五回は大声でどなりつけてやることを忘れるな。「なんじゃ、こんな木の葉っぱなんか持って来やがってーー。こんなものが天下に通用すると思ってやがるのか、バッカもーん!本物を持って来い、本物を!」と強硬に追い返すのだそうである。

かれらは剣幕に押されて引き退るが、てんぷらを売ってもらえるまで、根気よく何べんでも出なおしてくる。決してあきらめることをしないから、安心してどなりつけるがよい。気力の駆引だから、弱気になってはいけない。そうして夜明け方まで根くらべで頑張り通すのだ。東の空が白みかける頃まで売り渡しを拒否しつづけると、しまいには必ず本物の紙幣を持ってくるそうだ。

 

「バッカもーん!」と言われて退散する、でもめげない狐狸たちを想像すると面白いです。ねず天、そんなに美味しいものなのですね…。

実際にやってみて、記録を遺してくれた著者に感謝したいです。

 

その他に、禁漁期間には山を歩き廃村に泊まっていたそうで、そのレポートも興味深く読みました。

ダム建設により引っ越しを余儀なくされたり、便利さやお金を得るために住んでいた土地を離れて都会へ出て行った(行かざるをえなかった)りした人々がいた事を過去のことではなく現在に続いていることとして考えないといけないなと思いました。

著者の語り口や、魅力により引き込まれました。釣りが好きで、山が好きで、それを言語化して面白い文章にするというのは誰にでもできることではないと思います。また、復刻されていなければ読む機会もなかったわけで、それを読めた自分はラッキーです。

また、巻末の熱い解説が胸に迫りました。

 

本書は、読むだけで山や渓流や昭和の村へ連れて行ってくれる友人です。

 

エリック・ワイナー『世界しあわせ紀行』

今回、再読して2回目はより面白いことがわかりました。

ただの旅行記ではなく、楽園を求めて10カ国も訪れて綿密な取材と観察を行っています。大変な仕事だったと思います。

著者の姿は、中島敦悟浄出世』の悟浄を彷彿とさせました。

文章から、とても真面目で、物事をよく考えるお方なのだと伝わってきます。真面目で描写が細かいが故に可笑しさを感じて、とても魅力的な語り口です。また、自身の弱みや悩みもカッコつけずにさらけ出していて、親近感がわきます。

引用、参考にしている文献も数多く、本テーマにかける著者の意気込み、本気が伝わります。

著者はガネーシャ神が好きだそうなのですが、その理由が、知恵と学問の神様であり、どちらも自分にとって不可欠なものだからだと書いてあり親近感を覚えます。

10カ国をただ訪れるだけではなく、専門を活かして多くの人に密着インタビューを行っています。ときには、インドのアシュラム(修行道場)にも入り詳細なレポートを行っているように、各国のエピソードや体験談など内容が豊富で楽しいです。また、著者と関わる人たちとの交流も魅力的です。(ブータンでのタシ、モルドバでのルーバなど)

エピソードが豊富なのは現地の人だけでなく、楽園を求めて世界各国へ飛び出している同朋がたくさんいるおかげというのが大きいのではないかと思います。そもそも英語話者という立場はインタビューにおいて有利なのかもしれません。どこの国にも英語が使える人はいますし、イギリスでは発音の違いも識別できるのですから。パブでのエピソードも笑えました。とはいえ、モルドバでは言葉の通じないルーバと口論までしていますから、著者のそれまでの海外生活での経験とお人柄によるのだと思います。

そのため何度読んでも楽しめるのでしょう。

私は出不精なので、今後行くこともないであろう国々のことが垣間見られるのはとても楽しいです。

本書を読む人は、アイスランドに魅力を感じるのではないかと思います。著者もこの国に好意を持っているようです。

自分にとっての幸せも一緒に考えながら読み、著者の悪戦苦闘や試行錯誤を共有し、楽しい読書時間でした。また読みたいと思います。

余談ですが、「天才」についての別著は、本書ほどハマりませんでした。「幸せ」のほうが自分にとって興味のあるテーマだったからでしょう。この著者の本を訳す方はきっと苦労されたのではないかと思います。感謝を申し上げたいです。

最後に、、、本文庫の巻末にある「世界しあわせ対談」は大変不快です。その理由は、著者への敬意が全く感じられないこと、自分たちの言いたいことだけしゃべり散らして性急に結論づけていると感じたからです。ちょっと何言ってるかわかりません…。自著の宣伝企画なのかしら。もう今後読まなければいいだけなのですが、知らずに読んでしまい読後の満足感ぶち壊しになりました。

要するに、友人(本書)を蔑ろにされた気がして腹が立ったのでした。もし読まれる方は本書の内容とは別物だと思って読まれることをおすすめします。

 

本書は、世界各国を訪ねながら、自分にとっての幸せを考える機会をくれる友人です。

養老孟司『養老孟司特別講義 手入れという思想』

 

養老さんの講演が文字になってまとまった本です。

今までいろいろと著書を読みましたが、養老さんの考え、主張がコンパクトに詰まっている本だと思います。

しかも話し言葉なので、お話を聴いている感覚で読めるのです。

ただ、内容が多岐に渡っているため、本書の内容を講演会の席で聴いていてその場でちゃんと理解できるかというと私は不安です。なので、繰り返し読める本になっていて嬉しいです。

全部の講演を通して共通する話題が扱われているので、読み重ねることで理解が深まります。

養老さんが考えに考えて定義したことが書かれていて、とても面白いです。

例えば、「戦後の日本」は何だったかというと「急速な都市化の過程である」という定義です。そう考えると、たしかに現代のいろいろな問題が腑に落ちます。

また、長年日本で行われてきた(もちろん現在も行われている)「自然との折り合い」、つまり、自分が作ったものではない「自然」というものを素直に認めて、それをできるだけ自分の意に沿うように動かしていこうとすること、それが手入れだと書いてあります。里山の例と、女性のお肌の例、子育ての例による説明がわかりやすいです。

その反面、都市では、設計図を引いてぱっと作る。こうすればああなる。だから、都市に住む人は疑問を抱いたら質問して、「じゃあどうすればいいんですか」と答えがひとつではないことについても問い質してしまう。そして、その答えを「それはね…」と対価を得て提供する人も多い気がします。(その答えの真偽も確かではないのにそれを当然のごとく受け取ってしまうならば、その脆弱さに不安を感じます)

どうすればいいかは、自分なりに考え続けていく、試行錯誤して問題とつきあっていく必要があるのでしょう。

知ることは知識を増やすことではなく、実は自分が変わることだという考えには、「知りたい」と思うことの意味を改めて考えさせられます。

読んでいると、養老さんは時間をかけて様々な疑問について考えてこられたのだなと感じます。

私も判断保留で考え続けていることがいろいろありますが、養老さんの考える姿勢や、その結果得られた考えは、頼りない自分にとって非常に刺激的です。

「全ての情報は止まっている」こと、言葉は、一旦言葉を作ると、ものが切れてしまうという癖を持っていることを、考える上で忘れないでいたいと思います。

これは20年くらい前の本なので、もしかしたら、講演当時から考えが多少変わっているかもしれないし、もちろん変わっていないかもしれないけれど、ある時点での熟考が確かに残っている。これを読めるのは喜ばしいことです。

本書は、養老さんのいろいろなお話を聞かせてくれる友人です。

ブルース・リー/ジョン・リトル(監修)中村頼永『ブルース・リー ノーツ 内なる戦士をめぐる哲学断章』

十年以上ぶりに再読しました。

ブルース・リーが残した言葉を、ジョン・リトルという方がまとめた本です。

武術を通した人生哲学が書いてあります。

読んでいると、ほんの一部難解なところもあるかもしれませんが、読み続けるとわかります。なんとなくでもいい、読み続ければいいのです。

たくさんあるので、とっつきにくければ太字のところだけ読んでもいいのです。

表紙上部に「THE WARRIOR WITHIN(内なる戦士)」と書いてあり、実際に武術に関わる人だけではない多くの人に向けての、人生をよりよく生きるための考え方、また逆境の克服の仕方や、ストレスへの対処についてなどがたくさん書かれています。

表紙といえば、ブルース・リーが今にもヌンチャクを繰り出そうかという一瞬を劇画チックに描いており、購入時(当時ネットで買う方法を知らなかったため書店で取り寄せ)書店員に差し出されて少々恥ずかしかった乙女時代を思い出します。

購入した経緯は、「燃えよドラゴン」を観て、ブルース・リーに憧れまして、その後、彼のその他の映画を観ただけでは飽き足らず本書を買い求めたのでした。

ブルース・リーの初期の映画は構成がなんだかメチャクチャだと思うので、洗練されているのはやはり「燃えよドラゴン」ではないでしょうか。ただ、気さくな笑顔の見られる「最後のブルース・リー ドラゴンへの道」も好きです。また、先述した初期映画のストーリーはやりたい放題な感がありますが、やはり動きはかっこよく、スロー再生でも十分見られる美しさだと感じます。

余談ですが、職場の方に「燃えよドラゴン」DVDを貸して、まあまあ好評だったので調子に乗り、返ってきたDVDをそのまま別の方にお貸ししたのですが、その方の感想は「殺人の映画ですね!」でした。た、確かにそうなんだけど、そういう感想もあるのか!とこちらは焦るとともに発見でした(多分ボーロの制裁の場面がそう言わせたのではないかと思います。ボーロめ)。そのままでは私は「殺人の映画を貸したやつ」ということになるので、すぐに「アパートの鍵貸します」DVDを貸して、ハートウォーミングを図ったのですが、その方の感想は「ダメ上司の話ですね!」でした。一言ぶった切りコメントがとても痛快でした。

今回再読して、十年以上前に読んだブルース・リーの言葉が自分の生き方、考え方に影響を与えてくれていたことに気が付きました。あれ、これってブルース・リーが言っていたことだったのか、と。つまりブルース・リーの教えを自分のものにしている、と嬉しくなりました。

生前、ブルース・リーにはたくさん弟子がいて、そのなかにはジェームズ・コバーンスティーブ・マックイーンもいたそうですが、ブルース・リーの死後も本書を読んだり、ブルース・リーの考えを知る、学ぶことで弟子が増えていくのでしょう。そうするとブルース・リーは今でもそばにいてくれる気がします。(引かないでくださいね)

残念なことに、アマゾンでは値段が高額になっています。文庫版にして書店に並べば、きっと元気になる人が増えると思います。

本書は、ブルース・リー好きな人だけでなく、多くの人に紹介したい友人です。

ローレンス・ブロック『おかしなことを聞くね』

少しずつ読書ができるようになってきて、読んだばかりの短編集です。

宮部みゆきさんのエッセイで紹介されていた本で、曰く、寝る前に1篇だけ読もうとページを開いたのに朝まで読みふけってしまったとのことで、面白い本を書く作家が面白いという本はきっと面白いのだろうと思って(私は一日1篇ずつぐらいのペースで)読みました。

結果、やはり面白く、一冊に濃いお話が18篇みっちり詰まっていて満足しました。毎回新鮮な驚きがあります。作家の宮部さんが「巧い」と書かれていた部分を読者の私は「面白い」と評するのだろうなと思いました。

全体的に「殺し」がカジュアルに書かれていますので、そういうのが苦手な人は好みに合わないかもしれませんが、スマートにまとまっていますのでただ単純にお話を楽しめばよいのです。読書の醍醐味といえましょう。

18篇もあるので、最後まで楽しんでから目次を見ると「こんなにあったっけ?」と思います。

「まえがき」も、初めて知る(私の場合)作家が身近に感じられて楽しめます。

私は「道端の野良犬のように」と「詩人と弁護士」「アッカーマン狩り」「窓から外へ」が特に気に入りました。

「我々は強盗である」と「動物収容所にて」は痛快でした。

読書っていいものだなと改めて思わせてくれました。宮部さんに感謝しております。

本書は、読書の楽しさを思い出させてくれて、たくさん詰まったお話で楽しませてくれる友人です。

長田弘『一日の終わりの詩集』

今年になってから毎晩本書を(『万葉集』と交互に)読んでいました。

どうも今の私にはひとつひとつの詩を識別する気力がなく、「言葉・独り・沈黙・死」について書かれていた気がするという詩集全体の印象しか抱けなかったのですが、

心惹かれた言葉のつながりをひろって楽しみました。たくさんありました。

初見の詩をひとつひとつ味わうまではできず、また、別々の詩のイメージをまとめてしまっているのはちゃんと読んだと言えないとは思いますが、

長田さんの形にした思いと考えをまた繰り返し読もうと思います。読書リハビリです。

本書は、普段は気づかないけれども身近なテーマを言葉にしてくれていて、夜寝る前にラジオのようにつきあってくれる友人です。