橘芳 本との交友

読んだ本の整理を兼ねた本との交友録です。

寺村輝夫『王さまの料理読本ー偶然こそ成功のもとー』

ずっと読みたくて図書館で探してもなくて、あったのは前の前に住んでいた場所の最寄り図書館で「行くか?(行ってその場で読みきる)」と思いつつコロナ禍突入し、引っ越しして、縁遠くなっていてこの度やっと古本屋さんで手に入れました。

印字がなつかしい感じのフォントです。

少しずつ大事に読み進め、読み終わりに本を閉じて「読めてよかった、また読もう」と思える本でした。

内容は一冊ほぼ「卵」についてと言っても過言ではないです。

著者の卵への並々ならぬ愛を感じます。

私は初めて知ったのですが、このエッセイが書かれた当時は「ゴキブリ亭主」という言葉があったのですね。すごい響きです。

フェミニストさんたちが読むと何か物申したくなるような箇所もちらほらあるかもしれませんが、「今の価値観で何でもかんでも糾弾して心が温まるのですかい?」と初めに釘をさしておかなければなりません。

そしてちゃんと読めば結局のところ著者の考えに賛同できるはずです。

著者は物事を非常に深く考え続けられていて、奥様や子どもさんたちとの関係もきっとよいのだろうなというのが伝わります。

何より卵料理への情熱が半端ないです。奥様を尊敬し、ゴキブリを自認しつつもゴキブリなりの論理を追求し行動する姿は、素晴らしいです。

現代人に必要なのはこのパッションではないかと感化されます。

さて、本書で圧巻なのは著者が戦時中に特攻隊としていつ出撃命令されるかわからない体験をしたことが書かれている章だと思います。

(以下ほんの少し抜粋)P222

かくてその年の八月十五日、戦争はおわりました。私は喜びがこみあげてくるのを、どうすることもできませんでした。

ーもう死ななくてもいいのです!

これが喜ばずにいられますか。大日本帝国天皇陛下もありません。戦いに負けたのに、バンザイです。私は思わずしらず笑っていたようです。体でくやしそうによそおっていても、顔はほころんでくるのです。すぐに上官の、海軍兵学校出身の大尉に呼ばれて、

「日本は負けてはおらんぞ、これからだ。なのにキサマ、笑ったな!」

顔のかたちが変るほど、なぐられました。しかし、私は痛くもなんともありませんでした。口の中にふきだす血の、なんと甘かったことか。

 

十六歳だった著者の生々しい体験が言語化され、現代で読めることの有り難みを感じずにはいられません。

戦争を経験した方たちの多くが鬼籍に入られている今、私にできるのは書物から当時のことを読み取るのみです。

寺村さんは終戦のとき16歳。確か、茨木のり子さんは20歳、石井桃子さんは30代後半、幸田文さん、中川一政さんは50代、田村隆一さんも舞鶴で特攻隊として兵役、安野光雅さんも兵役していて、長田弘さんは小学生、…などと思い浮かべてみました。

終戦のときに何歳だったかで、きっと体験したことや、見方や捉え方が違うのだろうというのは興味深いですし、それを知りたいと思ったときに、当時のことや体験を考えて考えて言語化されたものは大変貴重なものだと思います。辛い作業であったことが察せられますが、ある意味それが自分の経験を昇華させる作業でもあったのかもしれません。

そして、辛い経験を忘れようとした方たちや、言語化せずに心に閉まったままだった方たちもきっとたくさんいらっしゃったでしょうから、尚さら言語化されたものは読むべしだと感じます。

私の読める時間に限りがあるので、それらが書かれた本がどうか絶版になってほしくないと思います。が、昨今、大切なものは静かに消滅していってしまうものでしょうから、できる限り自分で探していくしかないです。

寺村さんは童話作家だけあり、卵についての民話を「卵むかしむかし」という章で取り上げてらっしゃいます。

そこには現代の子どもの絵本について考えさせられる意見もあります。

以下また抜粋P124〜

(『さるかに合戦』の仇討ちの方法に卵が使われていた、というのが本筋。かにが猿に殺されるのは残酷だからケガをするだけにする、という改変過程説明の続きから)

それによって、殺されたかにの腹から子がにがはいだし、母の死を知って仇討にでかける、という物語の必然性がうすめられてしまいました。話として、おもしろくないものになってしまうのです。さらに、戦後民主主義の世の中になると、

「殺されたから仇討ちをするというのは、よくない考えかたで、悪いことをしたものは、話し合いによって改心させればいい。」

となって、そういう解説を付されて、きみょうなさるかにえほんが堂々とまかりとおるようになりました。たしかに思想としては健全なのでしょうが、むかしばなしと現実の生活を同じものとして、幼児のしつけの道具に見なすのはどういうものでしょうか。

この場面をどう改変しても、かには仇討ちにでかけるのです。この仇討ちの方法が尋常なものではありません。

……(仇討ちの説明)。まことにサディステックな仕うちではありませんか。これが、民主主義的な話し合いの手段なのでしょうか。ケガをさせられたカニのために、なぜこうまで犯人をいためつけなくてはならないのでしょうか。

だいたいが、オトナの、子どもの本批判には、部分だけをとりあげてとやかくいうことが多いのです。殺すのはわるいから話し合いへーーという思考は、同じオトナとして私にもわかるような気がします。もしそうだとしたら、さるかに話は、全体が否定されねばなりません。部分だけつくりかえて、ケガをさせ、さいごにさるをあやまらせて終ったのでは、この話全体がおもしろくなくなってしまうのです。たしかにかにが殺されるのは残酷です。殺された母がにの腹から、子がにがずくずく出てくるのはグロテスクでしょう。さいごにさるが臼におしつぶされて死んでしまうのは、解決としては単純であり、残酷であります。がしかし、さるかに話は、そういった残酷さを上まわる明るさと、聞きおわって「ああよかった」という安心感が、話全体を支えているのです。それがおもしろいのです。

 

私なりに付け加えてみると、子どもが聞きおわって「ああよかった」という安心感を抱くためにはそれを聞かせるオトナの大らかな明るさが必要なのではないかと思います。

以前、石井光太『ルポ 誰が国語力を殺すのか』を読んだとき、「親だ」と感じたのを思い出しました。

また、いくら子どもの本を改変しようとも、昨今の子どもたちはオンラインゲームなどによってもっと残酷なことに触れるのでは?とも思ったり…。

それと、先に抜粋した部分は、昨今の言論のあり方について連想せずにはいられない何かがありました。何かはまだ説明できませんが、おいおい考えます。

本書は自分の体験を惜しみなく伝える芯の通ったオトナの考えに触れることができ、昔話をもう一度引き寄せてみようと思える友人です。

 

掛谷英紀『学者の正義』

先週までせわしない日が続いていましたが、ちょっと仕事が落ち着きました。

コロナ禍を経て、本職に復帰できて充実した毎日を送れている、とよかったのですが、現実は思うようにいかないものです。

そんなギリギリの毎日で、読める時間は少ないですが本がお守りのようなものです。

ストレスを抱えているときは持ち歩く本が最低でも3冊必要です。

勉強したいけど、時間も余裕もありゃんせん。

「なにがリスキリングじゃい」と気炎を上げたくなります。日本語使え!(そっち)

と、こんな滅茶苦茶な私を本が支えてくれています。

そのうちの1冊が本書でした。

コロナワクチン関連の情報については以前からネットでアンテナを張って調べているのですが、恥ずかしながら最近、本書の著者の方を知りました。

コロナウイルス研究所起源について最初に日本で声をあげて動いていらっしゃる方だと。

映画「カプリコン1」のように、気づいた人が消される(ビリヤード台から忽然と消えるシーンは恐怖)わけではないけれど、存在を消されようとすることは現在のこの国でよくあることなのかもしれません。

本書で紙面を割いて主張されていたのは、日本の学者やエリートを観察して批判されていることです。

いい大学を出た人たちがいい仕事ができるか、稚拙な言葉ですが「良い人たち」「かっこいい人たち」かというと、例えば今の官僚や政治家たちなどを見れば明らかです。

おかしいことを「おかしい」と声を上げられる状況ではない。

それでも、身を挺して声をあげてくださった方たちを微力ながら著書を購入することで応援できればと思っています。

政治家が書籍代に使ったと吐かした3500万円を私に使わせて欲しいものです。

日本はハリボテのような制度が多いです。一昨年、安部元首相が殺害された事件のとき何人かの政治家が「民主主義への挑戦だ」などと主張していましたが、政治家は的外れです。

例えば、私が雇われている会社は自民党を応援しているそうで、昨年市議会議員選挙があったとき、社員たちが議員の演説時のサクラとして招集されて道端で立たされていました。私はそれを休憩室から見ていたのですが、外国人スタッフも立たされていて、「これのどこが民主主義だ」と、思いながら弁当をかきこんだのを覚えています。

本書の内容に戻ります。

文面から著者の怒りが感じられました。

それくらい真剣に大変な状況の中で取り組んでいらっしゃるのでしょうから、私も真摯に読みました。

ただ、この書き方だとプライドの高いエリートの人たちは依怙地になりそうだとも感じました。間違えたり批判されたりするのが苦手で、自分のミスを決して認めたくないでしょうから、耳を貸さずに全否定して逃亡する気がします。Youtubeのコロナ関連のシンポジウム動画などでも見かける光景です。

それから一点だけ気になったこと。

安倍さんの評価についての記述はなんだか唐突に出てきた話題に感じたので、一旦本を閉じて考えてみました。

私は政治家を信用していません。リベラルと呼ばれるらしい、極端なことを言う人たちも然りです。

生活者としての私の所感を述べると、安倍さんに関しては、桜を見る会モリカケ問題などが明らかになっていませんし、何より安倍さんの任期中に消費税の増税が2回ありました。閣議決定も多かったし、オリンピック誘致をしたし、今話題の裏金もたくさん稼いでいたはずです。したがって、傑出したリーダーだったかどうかはわかりません。

視点の違いでしょう。なので、安倍さんのことを評価して述べるのであれば、本文中にあった対中国の姿勢や外交政策に関してだということを強調したほうが説得性が出るのではないかと思いました。

余談ですが、昨年たまたま参加することになった席で櫻井よしこさんのお話を聞いたのですが、その時、この方は安倍さんのことが本当にお好きなのだろうなと感じました。

もしかすると、掛谷先生も理屈抜きで好ましいと感じていらっしゃるのかもしれません。想像です。

本書を読んで、エリートではない自分自身を意識しました。

まだ言語化できていませんが、そこに引っかかるものがあり、それを考えています。本書の内容とは関係ないけれど引き続き考えます。

 

「エリートが国を動かす」ことは現状で、昨今、ふざけた政治家などの一部の人たちが好き放題しているこの国で絶望を感じている人は多いと思います。諦めてしまっている人もいるかもしれません。

でも、何かをしたいと思っているなら、まずは掛谷先生のように必死で動いてくださっている方たちの存在を知ることが、絶望する前にできることではないかと思います。

そのあと、知ったことを否定する人もいるでしょうが(もちろん肯定する場合もですが)、今は即断しないほうがいいはずです。わからないことだらけなのですから。

もし「そんなわけない」と思ったとしても、すぐに否定せず見守る姿勢が必要だと思います。

ここ3,4年のコロナ騒動において、そういう我慢が多くの人に足りないように思いました。答えをすぐ求めるのは悪いクセだと思います。私が一番嫌いな質問は「じゃあどうすればいいんですか」で、「知らんわい、自分で考えんかい!」と言いたくなるものです。

読む人によっては私が「陰謀論」にかぶれてしまっているように感じるかもしれませんが、その判断も一旦置いておいていただければ幸いです。

先述しましたが、わからないことだらけの世の中です。

いずれ色々なことが明らかになるかもしれませんから、その時にパニックにならないように、少しずつ準備することも身近にできる自衛策の気がします。

なので、読んで応援し続けます。

本書はわからないことを追求する姿を見せて、いろいろなことに気づかせてくれる友人です。

忙しい日々の友たち

気づけば師走になってしまいました。

先週書類に日付を書くときに「11月」と書いていたくらい日付感覚がもうわかりません。

旅行から帰ったあとずっと仕事が忙しく、「過労死」という言葉が頭をよぎりました。

忙しくなりすぎると精神の骨組み(あるのかどうかわからないけれど)が脆くなるのがよくわかります。

今朝は季節外れの暖かさで、久しぶりにのぞいた畑で植えっぱなしのチューリップの芽が出てきているのを見つけて一人慄いていました。なんだか梅や桜も咲き始めそうな陽気です。鳥もにぎやか(特にヒヨドリ)。

目の前の些事で気持ちに余裕がなくなった生活に花鳥風月は欠かせません。

寝る時間が減り、滋養強壮剤で一発キメないと働けない日々は、自分すら蔑ろにしがちです。

何冊読んだか覚えていませんが、今は現実を忘れさせぐいぐい読ませてくれる本に助けられています。

仕事終わりにふらふらと職場最寄りの書店と図書館に行って手に取るのは信頼できる作家さんの本だなと実感。

基本的に明るい、楽しい、かっこいい、元気が出る本が好みです。あとは日本語をしっかりと使っていらっしゃる作家さんの本。

気持ちが荒んでいるので、読んだ本への評価も辛辣になるのがわかりました。例えば、軽快に読めるかと期待して手に取ったのですが、なんだかつっかえてしまうエッセイがありました。装丁はお洒落で女性に人気のある方のようです。

なぜ読むのがしんどいのか考えながら読み、違和感のしっぽをつかみました(言いたい)。理由は「子供っぽいから」でした。もう少し言うと、子供っぽいことをだらだら書き連ねているのを自己正当化してもっともらしく主張しているのが読んでいられないと思いました。

じゃあ読まなきゃいいのに、気持ちが荒んでいますから辛辣に「読みづらい理由」を追求しようとする自分を見つけました。

本を読むことで自分のこともわかるのが面白いです。

もちろん、このエッセイを必要としている人もいらっしゃることでしょう。

本に求めているものがそれぞれ違うだけなので、私の評価が正しいわけではもちろんありませんし、今じゃなく別のときだったら、このエッセイを「ふーん」と軽く読める気がします。

私は「憧れる人」を探してエッセイ・随筆を読んでいるところがあるのだな、ということも今回発見でした。

いま手元にあって読めていない未読の随筆が数冊あります。

時間と気持ちに余裕ができたら、幸田文さん、石井桃子さん、茨木のり子さん、米原万里さんのエッセイ(随筆)も読みたいです。

今年もあと少し、みなさまもよい本に出会えますように。

旅の友たち

旅先にいます。

一人での異国、また乗り継ぎに長時間かかるので、旅の友を連れてきました。

が、滞在先ではいろいろな人に会って本を読む時間などなく、往路は前日の仕事の疲れによる頭痛で読めなくて、やっと今からです。

4年ぶりの海外で、入国審査にへどもどします。

物価の高さにも驚きです。円の弱さを実感します。空港で売っている水がとても高価な飲み物なのに慄いています。

甘露のつもりで飲んでいます。

もっと早く行きたかったのですが、パンデミックにまつわる「 ワクチン接種3回じゃない人は帰国前に検査必須」という謎の決まりのせいで、なかなか行けませんでした。すぐに検査ができて紙が出る国ばかりじゃないので。

そして待ちに待った、しかし根拠薄弱な謎の解除。

政策決定している人たちの顔や名前が全く見えなくて不気味です。

根拠薄弱でも、判断して決めたなら首相だの厚労省の偉い人だのが「明日からやるぜ!」と言えばいいのにと思います。

本当に無責任な人たちが国を動かしていますね。

いつまで日本のパスポートは信頼されるのかしらなど未来に対して悲観的になってしまいます。

金食い嘘つき国会議員たちに対しては憤怒の気持ちがたくさんあります。

人は道端の犬の糞や吐瀉物を不快だから見ないようにするでしょうが、私はそれと同じことを不快な政治家たちに対してもついしてしまいます。もしこれをたくさんの人もしているのなら、顔の見えない偉い人たちが何十年も好き放題できるのでしょう。

「文句があるならお前が政治家になってみろ」という卓袱台やら将棋盤やらをひっくり返すようなことを言う人がいますが、そういう人も結局は問題を放置しているのだと思います。もしくは政治家の身内かもしれません。

政治家のニュースや言動などを見ると、はらわたが煮えくり返り、気炎を上げ始めると長くなるのでここで止めます。

 

大切な友について。

まだ読んでいませんが、

友その1 恩田陸『鈍色幻視行』

重いけど読みたくて持ってきました。まだ途中ですが好きなタイプの恩田陸さんの本です。

 

友その2 稲葉浩志稲葉浩志作品集 シアン』

セレクション版です。

届いてから少し目を通し、ゆっくり読もうと思いながらちゃんと読む時間がなく持ってきました。音楽がなくても歌詞を読めば声が、ギターの音が頭の中に流れます。

 

友その3 長田弘『子どもたちの日本』

いまや絶版です。後日ゆっくり書きたいと思います。

 

友その4 『幸田露伴

この友についても後日。

 

友その5 田村隆『かくし包丁』

恩田陸さんのエッセイで紹介されていたお料理随筆。詩人の田村隆一さんとお名前が似ています。

 

友その6 養老孟司『遺言』

まだ読んでいなかったので旅行前に買いましたが帰国後読むことになりそうです。

 

友その7 梨木香歩冬虫夏草

既読本も持って行こうと思い鞄に入れましたがまた今度読みます。

 

友その8 エラリー・クイーン『9尾の猫』

同じく既読本。

 

ちょっと欲張り過ぎて、重いですが安心です。

キンドルは持っていません。あればいいかもなとは思いますが、なくても大丈夫、という存在です。

乗り継ぎの飛行機の搭乗までまだ時間はたっぷりなので、今から読みます。

 

上記8冊は、一人で心細い道中の大切な友人です。

宮部みゆき『名もなき毒』

職場に自己愛性パーソナリティ障害とみられる人がいます。

最初は「性格が悪い人だな」と思っていたのですが、つい先日「言動が異常だな」と感じて調べてみたら全ての特徴が当てはまり、今まで心の中で「どうしてなのでしょう」と不思議に思っていた数々の疑問が腑に落ちました。

一緒にいると不快な気持ちになる人なので、なるべく距離をとろうとしていたのですが、業務上どうしても伝えないといけないことがあり、話をしているときに琴線に触れてしまったようでした。その後、明らかに(遠回しながら)「攻撃されている」と私の草食動物的知覚が察知し、その週末は自己愛性パーソナリティ障害について調べて対策を練りました。

そして、週明けの朝一番で謝罪をしたら、敵認定が解除されました。本当に目に見えて武装解除されたのがわかって驚きました。早期発見早期対処は鉄則ですね。病気やハチの巣のように。

今ではいっぱしの専門家並にその人の一挙手一投足を説明(もちろん心の中で)できます。正常な感覚で接すると相変わらず私の心は非常に不快なのですが、人格障害だと思っていれば改善を望む気持ち(期待と言い換えてもいいかもしれません)はなくなりました。当人を傍から見ていると、とても単純な思考回路なので「そんなんでいいのですか…」と尋ねてみたくなるくらいです。

それで、過去に読んだ本書を思い出しました。

「パーソナリティ障害」という言葉は出てきていませんが、厄介な女性が登場するのです。

職場の人は、本書の登場人物ほどに極端ではないですが、自分自身を冷静かつ正確に認識できない&現状を受け入れられず満足できない点は同じようなものです。

200人に1人はいるのだそうで、どの職場にもいるかもしれませんね。

余談ですが「パーソナリティ障害」という名称になったのは「人格障害」というと差別めいて聞こえるから、という意見を知りました。どちらも意味は変わらないのに。

片仮名にすると、日本人は英語を理解していないから意味をぼやかすことができるということなのかしら。こういうぼやかしの繰り返しが無責任社会をつくってきたのかもしれません。

本書は題名にもあるように「毒」が主題です。

その後の主人公を知っているので、改めて読み返した今回は、主人公自身も幸せに隠れている微小な毒に少しずつ蝕まれていっているような気もして新鮮な気持ちになりました。

価値観の違いや、善良がゆえに感じる葛藤や違和感。

例えば、奥さんが土壌汚染について話している場面で、奥さんの様子を「小学生の女の子のように」という言葉を2度使い、セリフを「吐いた」と説明していたのに気づきました。初読とは違う面白さがありました。

最近忙しくてゆっくり読書する時間がとれなかったのですが、通勤の電車内や空き時間に夢中になって読みました。さすが宮部さんです。展開がスリリングで一気に読んでしまいました。

読後、職場の人はここまで厄介な人でなくてよかった、とも思えました。

故意かどうかはそれぞれですが、自身の言動で他人に毒を与える人は存在します。

その毒をいかに避けたり、耐性を得たり、解毒したりするかがとても難しいことなのですが、自分を守るために考えていかなければなりません。

何より、自分は周りを害する人にならないようにしたいものです。

でないと、楽しくないですから。

本書はだれでも関わり得る「毒」について考えさせてくれる友人です。

中川一政『我思古人』

以前、たまたま中川一政美術館へ行きました。絵や書を見てまわって難しいことを抜きにして「いいなぁ」と出会いを嬉しく思いました。

詩人の随筆は面白い。では、絵描きはどうかしら、と図書館で探してみました。

本書があったので、ぱらぱらと拾い読みをして、

P57 私は元気でいる 

 私は元気でいる。私は元気で東京へ帰って来たが、どのくらい元気なのか顔を見てもらうより仕方がない。活字で書けばただの元気になってしまうのだから。

 私はのうのうしている。どの位のうのうしているかも、顔を見てもらうより仕方がない。

 今は私の頭を抑える何者もない。また手足を縛るものもない。いくら成長していってもかまわない。いくら力を出してもかまわない。

 私は元来自分がどんな人間だかわからない。また自分がどの位の力を持っているかもわからないのだ。自分を生かしきって見なければわからない。自分がぶっつかって験(ため)してみなければ、どのくらい力があるかわからない。

 自分ばかりではない。誰でもそうだ。

 それを何してはいけない、かにをしろと限定されてはいじけてしまう。日本人はお互に限定しあって、結局国家人間の干物をつくってしまったのだ。国民服はそのシンボルに見える。早くぬいだ方がよい。

 

この部分を読んで、「読むべし」と決意しました。きっぱりさっぱりしていて好ましい気持ちがします。本書を書いた当時筆者は50代。疎開先から戻ってきて、仕事を再開できる喜びが満ち溢れているような文章に感じます。

本書を読むと、文章から木訥とした優しいけれど自分の仕事には厳しい著者像が現れてきてとても身近に感じます。

まさに本書を読むことで私は「我思古人(我は思う古人)」です。

日本を、というより日本に住む多くの人々を当たり前に大切に思う気持ちが随所に感じられます。美術という観点からの意見に「そういう見方があるのか」と新鮮に思うことが多くおもしろいです。

「心がけ」について、「奥床しさ」について、「一流と二流」について、など、今や誰も容易に言語化して説明できないようなことが読める喜びをしみじみと感じます。

それから、花鳥風月についての記述も多く、読んでいて嬉しさが心にしみわたることも多いです。

P110 焦土には余裕がない。焦土を耕して人々が畑を作り出し、草の芽が青く吹き出し、春の土が湿ってきたとき私はほっと息をついた。

 まして主なき焼跡の垣根に八重の椿などが咲いているのを見て、自然が人間より先に焦土を美化している有難さを感じた。

 

戦時中の画家の立ち位置について考え抜かれたのだろうお話もあります。松尾芭蕉について、今後ちゃんと読んでみたいと思いました。

先述の中川一政美術館ですが、そこで見た書の展示に惹かれポストカードを買いました。白いうさぎが3羽、相撲のハッケヨイの姿勢で周りに描かれていて、藤原家隆の和歌「花をのみ まつらむ人に 山里の 雪間の草の 春を見せはや」が書いてあるものです。

現代の生活で、我々の気持ちになかなか表れないであろう感性ではないかと思います。

古(いにしえ)の人の作品に触れる楽しみについて後書きで書かれていますが、それを読めた私もまたその楽しみを共有することができ、著者が引きよせた古人に間接的に触れることができました。

本書は書や芸術に疎い私にとって、ところどころ難解な箇所もありましたが、美術に興味のある方なら、そこも楽しめるのではないかと思います。

後書きは非常に味わい深いです。

本書は絶版だったので、図書館で借りて読んでから古本を買い求めました。復刊求む。

ぜひ美術館に随筆を並べて置いていただきたいものです。

本書は、古人を引きよせ「日本で我々が気が付かなくなってしまった何か」を見せてくれる友人です。

トミー・デ・パオラ『まほうつかいのノナばあさん とびだししかけえほん』

大切な友人が出産したので、お祝いに本書をプレゼントしました。

赤ちゃんにはまだ早いので、まずは友人にこの本を見て、楽しい気持ちになってほしいなと思い贈りました。

とても丁寧に作られていて、想像以上にとびだしてくるので、何度開いても楽しいのです。

これはめくる人だけが得られる快感と言ってもいいかもしれません。

しかけじゃないほうの『まほうつかいのノナばあさん』を読むと、のっぽのアンソニーがスパゲッティに流されますが、本書ではそのアンソニーがこちらへ向かってきます。

棚の上などに開いて飾るのもありかもしれません。ページによって、本を寝かせるといいページと、立てるといいページがあります。

値段はそこそこですが、だからこそお祝いにピッタリだと思います。

映像ではなく紙による立体的な世界。なんだかいろいろな可能性が感じられます。

しかけ絵本は海外のものが幅をきかせているようですから、手先が器用で紙工作が得意な方や、美大生の方などはぜひ新規参入を。もし作るなら、中途半端ではなく思いっきりとびだすのをお願いいたします。安っぽいのじゃなくて、重厚なのをぜひ。

余談、「推し活」が話題のようですから、アイドルやらアニメキャラやらが本を開いたら飛び出してくるファンブックなんかを作れば売れるかもしれません。

 

その友人にまつわることについて。彼女は妊娠中に悩んでいました。

なぜなら、妊婦にとって非常に不安がいっぱいの状況だったからです。

例えば大きな不安&疑問「ワクチンを追加接種したほうがいいのか否か」。

それで、私もいろいろな意見を本で調べてみることにして、ツイッターyoutubeも見てみました。

見える範囲では、ワクチンを打ったほうがいいという意見が圧倒的に多かったです。

産婦人科医や医師も積極的に推奨し、接種しても影響ないと言っていました。

でも、その断定に至る根拠は非常に曖昧でした。

結局、友人は接種しませんでした。私はよかったと思っています。

今回のコロナ禍で、政治家の能力や仕事ぶり、情報を伝える新聞やテレビの偏りが可視化されてきたように思います。

例えば、今月2月3日に福島雅典京都大学名誉教授が東京地方裁判所において、厚生労働省に対して「情報開示請求」の訴訟を起こしたことが大きく報道されていません。

私はツイッターyoutubeで知りました。

ネット上の情報は信用ならない、玉石混交などと言われますが、それは現実世界も同じことです。要は、それらの情報をどう読み取るか、言葉をどう捉えるかではないかと思います。

具体的なやり方は、感情的にならないで書いてあることをただ読みとっていくことです。

例えば、不安なときは断定する言い方に惹かれるかもしれませんが、不安感情に流されないでその人の意見を知るのにとどめる。特にツイッター上は感情的な意見がたくさんですから、それに同調しない。自分の感情を誰かに委ねない。結論を急がない。決めつけない。

また、言葉は養老孟司さんが言っていた(友人本『手入れという思想』より)ように、名前をつけると言葉が切れてしまうので、極端な物言い、例えば「毒チン」などという言葉や、白か黒かに分断する言葉「反ワク」などという言葉に惑わされないように気をつけて、ただ読んでいく。わからないままで当たり前、考える材料を増やすために読み続けるのです。

おかしいことが「おかしい」と感じられる、悪いことをした人が捕まえられる、そんな日本になってほしいです。

ただ、その「悪い」が、コロナ禍では捉えにくいのではないかと思います。全容をなかなか計れないような、誰を捕まえたらいいのかわからない、というような。わかりやすい悪は叩きやすい(湯呑をなめた子供など)ですが、おおきな悪はなかなか叩けないのかもしれません。

とはいっても、叩く=感情的になっているということでしょうから、冷静さを忘れずにいたいものです。まずは「おかしい」ことが「おかしいね」と周りの人と共有できるようになるといいな。そのために、私は読んで考えていきます。

新聞の見出し一面に上記の「厚労省への訴訟」がバーンと出ると、新聞の売上は伸びると思います。そうなったら、新聞購読します。大手メディアにできないなら、週刊誌、また、大手新聞社を退職したフリーの記者さんに期待です。

 

と、「ノナばあさん」からだいぶ逸れてしまいました。

生まれたばかりの赤ちゃんに、たくさん楽しいことがありますように。

われわれ大人にも、にこにこ楽しいことがありますように、と願っています。

本書は、ささやかでも楽しい気持ちにしてくれる友人です。