橘芳 本との交友

読んだ本の整理を兼ねた本との交友録です。

中川一政『我思古人』

以前、たまたま中川一政美術館へ行きました。絵や書を見てまわって難しいことを抜きにして「いいなぁ」と出会いを嬉しく思いました。

詩人の随筆は面白い。では、絵描きはどうかしら、と図書館で探してみました。

本書があったので、ぱらぱらと拾い読みをして、

P57 私は元気でいる 

 私は元気でいる。私は元気で東京へ帰って来たが、どのくらい元気なのか顔を見てもらうより仕方がない。活字で書けばただの元気になってしまうのだから。

 私はのうのうしている。どの位のうのうしているかも、顔を見てもらうより仕方がない。

 今は私の頭を抑える何者もない。また手足を縛るものもない。いくら成長していってもかまわない。いくら力を出してもかまわない。

 私は元来自分がどんな人間だかわからない。また自分がどの位の力を持っているかもわからないのだ。自分を生かしきって見なければわからない。自分がぶっつかって験(ため)してみなければ、どのくらい力があるかわからない。

 自分ばかりではない。誰でもそうだ。

 それを何してはいけない、かにをしろと限定されてはいじけてしまう。日本人はお互に限定しあって、結局国家人間の干物をつくってしまったのだ。国民服はそのシンボルに見える。早くぬいだ方がよい。

 

この部分を読んで、「読むべし」と決意しました。きっぱりさっぱりしていて好ましい気持ちがします。本書を書いた当時筆者は50代。疎開先から戻ってきて、仕事を再開できる喜びが満ち溢れているような文章に感じます。

本書を読むと、文章から木訥とした優しいけれど自分の仕事には厳しい著者像が現れてきてとても身近に感じます。

まさに本書を読むことで私は「我思古人(我は思う古人)」です。

日本を、というより日本に住む多くの人々を当たり前に大切に思う気持ちが随所に感じられます。美術という観点からの意見に「そういう見方があるのか」と新鮮に思うことが多くおもしろいです。

「心がけ」について、「奥床しさ」について、「一流と二流」について、など、今や誰も容易に言語化して説明できないようなことが読める喜びをしみじみと感じます。

それから、花鳥風月についての記述も多く、読んでいて嬉しさが心にしみわたることも多いです。

P110 焦土には余裕がない。焦土を耕して人々が畑を作り出し、草の芽が青く吹き出し、春の土が湿ってきたとき私はほっと息をついた。

 まして主なき焼跡の垣根に八重の椿などが咲いているのを見て、自然が人間より先に焦土を美化している有難さを感じた。

 

戦時中の画家の立ち位置について考え抜かれたのだろうお話もあります。松尾芭蕉について、今後ちゃんと読んでみたいと思いました。

先述の中川一政美術館ですが、そこで見た書の展示に惹かれポストカードを買いました。白いうさぎが3羽、相撲のハッケヨイの姿勢で周りに描かれていて、藤原家隆の和歌「花をのみ まつらむ人に 山里の 雪間の草の 春を見せはや」が書いてあるものです。

現代の生活で、我々の気持ちになかなか表れないであろう感性ではないかと思います。

古(いにしえ)の人の作品に触れる楽しみについて後書きで書かれていますが、それを読めた私もまたその楽しみを共有することができ、著者が引きよせた古人に間接的に触れることができました。

本書は書や芸術に疎い私にとって、ところどころ難解な箇所もありましたが、美術に興味のある方なら、そこも楽しめるのではないかと思います。

後書きは非常に味わい深いです。

本書は絶版だったので、図書館で借りて読んでから古本を買い求めました。復刊求む。

ぜひ美術館に随筆を並べて置いていただきたいものです。

本書は、古人を引きよせ「日本で我々が気が付かなくなってしまった何か」を見せてくれる友人です。