橘芳 本との交友

読んだ本の整理を兼ねた本との交友録です。

中島敦『悟浄出世』『悟浄歎異』

 

山月記』『名人伝』など有名どころは色々な本で読むチャンスがあるが、それ以外の作品に触れるには受け身ではいけない。前進あるのみだ。

私は、『中島敦』(ちくま日本文学) を図書館で借りて、欲しくなりその後買い求めた。古典の注釈の多くは巻末についていることが多く、そこと本文を行ったり来たりするのが煩わしいのだが、本書は、文章と同じページにあり、読みやすく嬉しい。

初めて読んだとき、どの話も面白く驚いてしまった。文体は固く、漢語も多い。しかし、それがいい。上記の注釈もついているし、読みにくいことはない。リズムや語りがなんというか、簡単に言うと「かっこいい」のだ。漢文もっと勉強しておけばよかった、と感じる。繰り返してしまうが、文章がかっこいい。

どの話も面白く何度でも楽しめるなかで、『西遊記』の沙悟浄の成長譚である本編を挙げたい。

悟浄は「独言悟浄」と呼ばれ、周りから馬鹿にされている。他の妖怪なら全く気にしないこと、大まかに言うと「自分とはなにか」について悶々と鬱々と悩んでいる。そこで、答えを見つける旅に出る。

悟浄を見習わなければと思うのは、決して受け身ではないところだ。懸命に悩んでいる。たくさんの妖怪を訪ね、話を聞き、ときには弟子入りする。

悟浄は忍耐強く真面目なので、どんな変な妖怪からも学び取ろうと努力する。そのため、様々な教えを受けて何が何やらわけがわからなくもなるのだが、それでも真面目に悩みながら突き進む。

変な妖怪ばかりなので、よく静かに恐れおののく(それでもちゃんと観察はしている)悟浄と同じく、ハラハラしつつ、応援し親身に読んでしまう。

そうやって考え悩み、答えを求め続けた悟浄が見つける着地点、そして訪れるスタート。答えは安易に得られない。自分も状況も変化しうるし、唯一の正しい答えなど、きっとないのであろう。

だからといって、答えを求めて、考え悩み続けることを「無駄だ」などと馬鹿にしてはいけないし、やめてはいけない、誰でも考え続ければ自分なりの着地点が見つけられる、そんなことを教えてくれる気がする。

 

『悟浄歎異(ごじょうたんに※ずっと「たんい」と読んでいた!汗)』でも、相変わらず悟浄の内省は続いている。ただそれは仲間を観察し、自分の言葉で説明することにより自分を顧みているようだ。

悟浄のすごいと思うところは、仲間のよいところを確実に捉えていることだ。そして、よいところを素直に尊敬している。例えば、悟浄の語る孫悟空の描写は非常に魅力的だ。

また、相手と比べて「おれはだめだ」と思うだけで終わらず、行動へ移そうという意志を持ち続けている。

やりがちなのは、誰かと比べて自分を固定したり(しかも相手への観察は偏っている)、誰かのいいところが自分の価値を下げるように勘違いしたりして、不健康な状態を招くということではないだろうか。その点、悟浄は自分と他者を同化させず、それぞれ認識し、観察している。

以前に比べ、仲間の影響もあってか、若干前向きに明るく(ゲラゲラ笑うこともある)なったのも感じられる。彼の旅をもっと読み続けたいと思うところで話は終わる。読後はさわやかだ。

読むたびに随所に見つかる金言が自分自身を振り返らせてくれたり、生活のヒントになったりする。

 

悟浄は、悩む自分に進み方を教えてくれる大切な友人である。