橘芳 本との交友

読んだ本の整理を兼ねた本との交友録です。

(3)『Can-doで教える 課題遂行型の日本語教育』来嶋洋美、八田直美、二瓶知子

前回、本書Can-doの教え方が、私の教えてきた日本語学校に合わないと思う理由を書きました。

最後にまとめます。

「課題先行型」と、従来の教え方のどちらの教え方をするにしても、語学教師の第一目標はシンプルに言うと「学習者の語学能力を上げること」であるはずです。それ以上の、例えば「学習者の資質・能力を育てる」として、人間を育てるといったような、実現が難しい曖昧模糊としたことを目標として設定するから苦しくなるのではないでしょうか。「人としての成長」は、目標ではなく、個々の学習者の語学習得作業に付随する結果だと思います。

語学教師の能力を過大に見積もって、いろいろ求めすぎなのだと思います(もちろん個人で理想を追い求めるのは自由ですが)。

そして、シンプルに語学教師の目標である「学習者の語学能力を上げる」ための手段や方法は、各教育機関が自分たちの目の前にいる学習者を見て選択、判断していくべきではないかと思います。その選択、判断をするときに、国家資格を得た日本語教師の能力を発揮するべきであって、本書のCan-doといった、定められた方法に合わせることが教育現場の足かせになっては本末転倒です。

そもそも公的教育機関と違い、会社が日本語学校を運営しているのですから、法に反することや教育方法が大きく逸脱するなどしていない限り、それぞれの会社が、文部科学省文化庁国際交流基金などに教え方を強いられるいわれはないはずだと思います。国家政策などとして国主導で日本語教育界に関わるというのであれば金銭的な補助をするのは当然でしょうが、実際は、国家資格取得費用や教材購入費などの費用が現場負担です。もしかすると、金銭補助が発生しないように本書のような「強制」と解釈されないような主体的推進者不在のマイルドな言葉や表現が使われているのかもしれません。

もし、決められたとおりにやらない日本語学校があれば、入管により「適正校」から外され、留学生受け入れができなくなるのでしょうから、もうこの流れから抜け出すことはできないのだと思います。

昨年、私が受け取った入管からのメールには、「学生の人権を守るように。守らない場合は日本語学校に対して然るべき措置をとる。引き続き学生たちの生活指導をお願いします」という旨の「脅しとお願い」文書が添付されていて、非常に憤りを感じました。「生活指導が必要な人たち」とわかっていて大量に入国させていますよね? それなのに入れるだけ入れて、日本語能力向上だけでなく、その大量の留学生の管理を日本語学校に丸投げしていますよね? うちは入管の下請け機関ですかいな、と。入管には無理を強いられ、学生たちが違法行為をしないように指導する中で、学生には理不尽なことをされたり言われたりする日本語教師の人権はないようにも感じてしまいました。

本書を読んで、理解できず納得できない私には、今後日本語教師を続けることが不可能なのだと思います。

長年、さまざまな問題や絶望と向き合いながらも自分を納得させてこの仕事を続けてきましたが、本書にある教え方に対応していく気力や、それに抗う気力が、もう私には出せなくなってしまいました。自分が納得できないことに心血を注げません。

そして、ポータルサイトで管理され、移民国家推進の駒としてこの先も「やりがい搾取」されるのも拒否したいと思いました。

もちろん、学習意欲が高い真面目な学生たちもいますし、授業自体は好きなので残念な気持ちがあります。

日本語教育には、文部科学省文化庁、外務省、経済産業省厚生労働省までもが手を出し、経団連まで日本語教育に口を出しています。色々な立場の人たちですが、日本人の共有財産である日本語を軽視して扱う人たちということと、生身の外国人と日々関わることのない人たちだということは共通しているでしょう。

外国人は日本人ではありません。

意志を持たない従順で都合のいい人材でもありません。

今後の日本を心配しています。

 

このたび改めてCan-doについて知るために本書を読みましたが、昔から言われている内容に変わりはありませんでした。

複雑怪奇に見えて単純な“「こうすれば、ああなる」はずなのだからみんなで考えてみんなで話し合ってみんなで対応してねメソッド”を昔よりも理解できた気がします。言語も地理的状況も違うヨーロッパを参考にして、長年お金をかけてつくってこられたスタンダードが、ついに日本のスタンダードになるのですね。国費を使っているにも関わらず日本独自のスタンダードを作るのが不可能だったということが、非常に残念です。

と、無力な私のせめてもの抵抗で、嫌味を書きましたが、

ひとつ、昔からずっと国際交流基金の先生方に対して「なぜなのですか!」と心の底から腹立たしく思ってきたことがあるので、怒りを込めて最後に絶叫いたします。

 

日本語教育に関わる言葉に、「Can-do」などと英語を使わないでいただきたい!!!!!

 

長々と書いたものを読んでくださり、ありがとうございました。

本書は、自分の違和感を言語化するのを手伝ってくれた友人です。